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zoom RSS 春日部市に流れる 古隅田川流域の歴史探索 

<<   作成日時 : 2009/09/20 17:43   >>

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隅田川と都鳥と・・・梅若伝説と そして ・・・・業平橋、春日部市内に、最近まで「古隅田川」と称する川が流れているのが知らなかった。隣町に住んで長いのに!!更に「伊勢物語での在原業平の和歌 都鳥」が・・・隅田川の舞台が東京でなく春日部説であるという。我が町に近いこともあり、探究心旺盛から、古隅田川流域を探索することにした。
                古隅田川と利根川        資料―百科事典『ウィキペディアより
かつて、隅田川は利根川の下流に位置しており、武蔵国と下総国の境界線となっていたと考えられている。
埼玉県と東京都にある2つの古隅田川は、かつて、利根川−隅田川の一部であり、現在の河川に則すれば、
古利根川から古隅田川(埼玉側)、元荒川、中川、古隅田川(東京側)、隅田川という流れが利根川及び荒川の
本流であったと考えられている。
なお、現在の埼玉県の古隅田川は元荒川の近く(さいたま市岩槻区南平野付近)を源として古利根川に
向かって注いでいるが、中世以前は反対に古利根川から元荒川に向かって大河川が流れていた。
これは現在も一部に残る自然堤防跡や古文書において現在の古隅田川流域の東側地域(春日部など)が
「下総国」下河辺荘に属していることからも分かる。その後、関東造盆地運動の影響により古隅田川一帯が
隆起して、利根川の本流が現在の古利根川からそのまま中川に向かう、経路を取る様になり、更に江戸時代の
利根川東遷事業やそれに付随した入間川の荒川・隅田川への付け替え工事で利根川・中川・荒川(隅田川)が
切り離され、埼玉の古隅田川の流れも逆方向に向かうようになったと考えられている

                   2009年08月30日(日)
                         コース
 東武野田線 東岩槻〜古隅田川〜旧古隅田川の合流地点〜古隅田川公園(旧堤防 旧やじま橋)〜
 城殿橋〜 満蔵寺〜春日部八幡神社〜古隅田川の終点(古利根川への合流地点)・・・・春日部駅へ

  *****東岩槻〜古隅田川〜旧古隅田川の合流地点〜古隅田川公園(旧堤防 旧やじま橋)〜城殿橋*****

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                                  写真@
       古隅田川の管理起点(右岸から)右岸:さいたま市岩槻区南平野、左岸:春日部市花積
東武野田線の東岩槻駅から東へ400m(ふれあいプラザ岩槻の北側)。右岸は、東岩槻六丁目内の飛地である。
古隅田川の源流となっているのが山城堀、このさらに上流(写真の奥から流れて来る)から流れてくる。

古隅田川の旧流路は管理起点から写真下の方に流下し、旧16号線(さいたま春日部線)と16号バイパスの間を
東に流れ、豊春小附近で北へ業平橋(旧16号線に架かる橋)をこえて、やじま橋 下流で古隅田川
(かっての山城堀)に合流する。此処にでてくる、業平橋は在原業平に由来した命名?

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                                  写真A
        同じ管理起点から下流の現在の古隅田川を見る、行政界域 左岸 岩槻区  右岸 春日部市
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                        写真B上院調節池の建設地付近(上流から)
                  左岸:さいたま市岩槻区徳力、左岸:春日部市上蛭田
古隅田川の上流部は総合治水対策、特定河川事業区間に指定されている。古隅田川の洪水流下能力が不足するために、内水被害を受けやすいようだ。そのため、左岸には上院調節池の建設工事が進められている。

古隅田川と旧古隅田川の合流地点を過ぎた附近の両岸に古隅田川の旧堤防が残っている。
両岸ともに旧河川敷の中(堤外地)には、民家が建てられ旧堤防は古隅田公園として整備されている。
宮川小の西側では古隅田川の左岸へ慈恩寺親水公園付近から流れる上院落が合流する。

                           ・・・・・古隅田川公園・・・・・
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                       写真C古隅田川公園入口(春日部市南中曽根) 
古隅田川公園入口、道路で分断された地点。堤防は古隅田川公園として整備されている。旧堤防は高く、民家の 一階部分と同じ位の高さがあり、盛土を施して築堤したもの。
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                        写真D旧堤防の上 古隅田公園内
公園入り口階段を登った堤防天端には巡礼供養塔(享和三年)、馬頭観音(寛政四年)、天王宮(寛政三年)が祀られている。巡礼供養塔は道標兼ね、右かすかべ、左こしがやと記されている。馬頭観音には、金野井川岸、馬持講中とあるが、金野井川岸とは江戸川右岸の西金野井地区にあった河岸場のことなので、この旧堤防は遠方の河岸場と粕壁宿、岩槻宿とを結ぶ街道の役割を果たしていたことがわかる。鬱蒼とした雑木林に囲まれ、古道の面影が色濃く残っている。
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                    写真E旧堤防の上 古隅田公園内  やじま橋石碑
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                           写真F移築された「やじま橋」
古隅田川にかけられていた石橋で、現在は古隅田公園に移築されている。江戸時代の元文2年(1737年)の銘が橋板裏面に刻まれており、現存の石橋としては県内最古のもの。「やじま橋」は、元文2年(1737)に、岩槻城主の
命により古隅田川に架けられた自然石板18枚で組んだ石で、粕壁から岩槻を結ぶ道の要でした。

   ・・・・・宮川小学校附近(東側)から城殿宮橋の間にある堤防(西から東方向)の古隅田公園・・・・・
                       
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                                 写真G
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                                  写真H
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                                 写真I
GH写真左側が市民農園になっている 農園右側に堤防があり鬱蒼とした雑木林である。堤防傍に住む叔母さん     によると最近ではキャサリン台風のとき、この附近まで水に浸かったようだ。
I公園出口の看板  城殿宮橋 新方袋(16号交差点) 通じる車道にでる  目印はアスカホール

                    城殿宮橋 土地改良記念碑附近の古隅田川
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                                  写真J
   公園出口を出た城殿宮橋方向を見る。目立つ建物は アスカホール ホールの奥に古隅田川が流れる
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                                  写真K
城殿宮橋から下流方向を見る。古隅田川の左岸へ、黒沼用水と豊春用水(見沼代用水の支線)の余水が
排水されている。古隅田川は昭和20年代まで、写真の中央付近から南(右)へ向かって大きく蛇行していたが、    現在の東(奥)へと流れる流路を開削し直線化した。
旧流路は暗渠となり、約1Kmの緑道が整備され16号バイパスで左折し、道路沿いに東に流れ栄橋で合流する
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                                  写真L
  城殿宮橋(埼葛火葬場の付近)から上流方向を見る。  左岸:春日部市内牧、右岸:春日部市新方袋
  左岸橋詰には古隅田川排水改良事業記念碑、土地改良記念碑がある。

    ・・・・・此処で寄道の為 ルートを 旧流路の緑道を歩かず、新方袋交差点まで車道を行く・・・・・
          梅若伝説のある満蔵寺  都鳥の碑がある春日部八幡神社探索へ

 *****城殿宮橋〜車道〜満蔵寺〜車道〜旧古隅田川(16号線沿い)〜(浜川戸)〜
          八幡神社 稲荷神社 八幡公園〜浜川戸橋 梅田橋〜東武線附近〜十文字橋の付近〜
                              古隅田川の終点(古利根川への合流地点)〜春日部駅*****

                            香取山 満蔵寺 
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                             写真@満蔵寺入口
                     
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                             写真A満蔵寺 本堂                     
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                               写真B梅若塚
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                         写真C梅若伝説と梅若塚  案内板
今からおよそ千年前、京都の北白川に住んでいた吉田少将惟房卿の一子梅若丸は七歳の時父に死別し、比叡山の稚児となった。十二歳の時、宗門争いの中で身の危険を思い下山したが、その時に人買いの信夫(現在の福島県の一地域)の藤太にだまされて東国へ下った。
やがて、この地まで来た時、重病になり、藤太の足手まといとなったため、隅田川に投げ込まれてしまった。
幸いに柳の枝に衣がからみ、里人に助けられて手厚い介抱を受けましたが、我身の素姓を語り、
尋ね来て 問わば答えよ 都鳥   隅田川原の 露と消えぬ  という歌を遺して息絶えてしまった。
時に天延2年(974)3月15日であった。里人は、梅若丸の身を哀れと思い、ここに塚を築き柳を植えた。
これが隅田山梅若山王権現と呼ばれる若梅塚である。一方、我が子の行方を尋ねてこの地にたどり着いた若梅丸の母「花子の前」は、たまたま若梅丸の一周忌の法要に会い、我が子の死を知り、出家してしまった。
名を妙亀(みょうき)と改め、庵をかまえて梅若丸の霊をなぐさめていたが、ついに世をはかなんで近くの浅芽が原の池(鏡が池)に身投げてしてしまったという。これが有名な謡曲「隅田川」から発展した梅若伝説であるが、
この梅若丸の悲しい生涯と、妙亀尼の哀れな運命を知った満蔵寺開山の祐閑和尚は、木像を彫ってその胎内に
梅若丸の携えていた母の形見の守り本尊を納め、お堂を建てて安置したという。これが、安産、疱瘡の守護として多くの信仰を集めてきた子育て地蔵尊である                            埼玉県春日部市

            この寺には 県指定天然記念物「満蔵寺のお葉附きイチョウ」 がある
             高さ27m 根回り周囲10.4m 目通り周囲 3m 推定年齢 350年 
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                                  写真D
  お葉附きイチョウは実が葉の付け根に実ることからその名が付けられました。また、枝の付き方も一般の
  イチョウの木が天に向かって伸びるのに対し、水平もしくは下方に向かって伸びる特徴があります。
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                                  写真E
実を付ける葉は、普通より小さく、その多くは奇形をしています。また、実は、年によって多いときと少ないときが
ありますが、多いときでも正常なものと比べるときわめて小さくて、小形なものです。黄葉時のイチョウも見事の
ようです。                                                春日部市教育委員会

                    再び  新方袋交差点まで車道を行く
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             写真F新方袋交差点(国道16号線)新方袋交差点方向(岩槻方面)を見る。
               探索は写真下方の方向へ歩き、浜川戸交差点陸橋を渡る     
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            写真G浜川戸交差点(歩道橋から)古隅田橋から方向を見る
        左の木立と歩道の間に旧古隅田川が流れている、下流の栄橋で古隅田川に合流する
            
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                         写真H春日部八幡神社  表参道
春日部八幡神社の参道 鳥居には「新方荘惣社」の額が掲げられ、春日部氏の領地であった新方領の総鎮守で
あったことがわかる。新方(にいがた)とは、現在の古利根川、古隅田川、元荒川に囲まれた地域
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                       写真I鳥居入口手前左側に「都鳥の碑」
都鳥の碑  平安時代初期の歌人「在原業平」(ありはらの なりひろ)と当神社の故事を伝える「都鳥の碑」は
入口鳥居の左側、在原業平が奥州に旅をした時、武蔵の国と下総の国との境にある隅田川の渡しで川岸に遊ぶ、 くちばしが赤く翼の白い鳥を見て、京都では見たことのない鳥と思い、渡し守にその名を聞くと「都鳥」と答えたので、京都の事を思い出し、「名にし負わば いざ言問はん都鳥・・ わが思う人はありしやなしやと」と詠んだという
故事を後世に残そうと、1853(嘉永6)年5月、粕壁宿の名主であった関根考燕が千種正三位(ちぐさしょうさんみ)  源有功に依頼し、由緒を碑にあらわしたもの。
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                             写真J春日部八幡神社
鎌倉時代の元弘年間(1331〜1334年)に当地の地頭頭であった春日部重行が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請、
創設したものといわれている。本殿には神木となっている大銀杏があり、鎌倉より一枝が飛来して一夜にして
茂ったという言い伝えがある
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                         写真K春日部八幡神社旧本殿 
春日部八幡神社は元広年中(1331〜1334)に当地の領主であった鎌倉氏によって鎌倉の八幡宮を勧請、創設したものといわれている。この旧本殿では手斧つくりと云う特徴的な構造に当事の神社建築の様式をそのまま残して、市内でも最も古い建造物として春日部氏の動静を伝える貴重な文化財です。この神社を含む一帯は、春日部市館跡ともいわれ、奈良、平安時代から中世までの複合遺跡の浜川戸遺跡として知られています。
                                     春日部市文化財調査委員会 春日部市教育委員会
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                             写真L春日部稲荷神社
   当時の春日部氏の館に屋敷神として京都の伏見稲荷神社を勧請して造られていたとされる稲荷神社。
   この神社の境内を含む一帯は、春日部氏の館跡ともいわれ、奈良・平安時代から中世までの複合遺跡の
   浜川戸遺跡(浜川戸富士塚)として知られる。隣接して八幡公園として市民の憩いの場となっている

         ***寄道は 此処で終了  価値のある探索となった***
     八幡公園から古隅田川に架かる浜川戸橋へ・・・・上流の栄橋 古隅田橋はカットする
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                          写真M浜川戸橋から下流を見る
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                       写真N梅田橋から東武伊勢崎線橋梁を見る
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                       写真O十文字橋を合流地点附近から見る
古隅田川が古利根川に合流する地点  写真の後ろ側は 古利根川、伊勢崎線の下流付近から流れは南へと
変わる。この流れは昭和19年から実施された、河川排水改良事業で開削されたもの
    
   此処で探索終了し春日部駅へ向かう。天気も、途中霧雨程度ですみ、無事目的が達成できた。


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