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zoom RSS 荒川の右岸を歩くパートA 上熊谷駅から吹上駅へ

<<   作成日時 : 2009/10/07 13:00   >>

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暴れ川、荒川の約400年間でダイナミックに変わってきた歴史を「歩いて」触れることにした
日付が遡るが、秩父鉄道 上熊谷駅からJR川越線指扇までの区間を完歩したので4回に分けて
荒川右岸側を掲載。

荒川の西遷は寛永6年(1629)に熊谷市久下付近で、今まで荒川の本流であった元荒川を締め切りました。
荒川の西遷(瀬替え)は大宮台地の東側だった荒川の流路を、新しく西側の和田吉野川、市野川、入間川へと
繋ぎ変えたので、利根川の東遷に対して荒川の西遷とも呼ばれている。
この工事を指揮したのは関東郡代 伊奈忠治。そして、昭和初期に近代改修されて、大規模な築堤と遊水地(河川敷)の造成に伴い、それまでの蛇行流路を直線化した。河川敷内には旧荒川と呼ばれている、旧流路跡が現存している。

                今回の企画は 下記 HP参考にしました。
関東地方の川  アドレス http://www.geocities.jp/fukadasoft/rivers/index.html 
関東地方の川のHPを元にコース設定をし、記事や写真構図まで、参考にしてウォーキングして作成したものです
荒川上流河川事務所 荒川を知ろう、荒川を遊ぼう、から  アドレス http://www.ktr.mlit.go.jp/arajo/index.htm

                     2009年4月18日(土曜日)
                         コース概略
上熊谷駅(上熊谷駅構内)⇒荒川大橋 大橋トラスト広場⇒手島の渡し碑⇒吉見堤碑⇒切所沼⇒久下橋付近⇒
                      玉作水門(和田吉野川)・通殿川排水機場⇒荒川堤⇒大芦橋⇒
                                 (吉見橋・水管橋付近までRT)大芦橋⇒66号線⇒吹上駅

            *****上熊谷駅(上熊谷駅構内)⇒荒川大橋  大橋トラスト広場*****

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                 写真@秩父鉄道 上熊谷駅
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            写真A旧熊谷堤跡のレンガ造りの水門  熊谷駅付近(駅構内・ホーム)
JR高崎線と秩父鉄道の軌道下を横断して設けられている。この地域の鉄道開通は早く、JR高崎線(日本鉄道)は1884年、秩父鉄道(上武鉄道)は1901年である。秩父鉄道の路線の南側には、熊谷桜堤(北条堤)と呼ばれた荒川の旧堤防が設けられていた。
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                        写真B新荒川大橋北詰
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                        写真A新荒川大橋上り線(歩道)
              写真@A 現在の新荒川大橋(下り線から) 国道407号線の道路橋。
1969年(昭和44年) - 新荒川大橋竣工、荒川大橋と共用する。荒川を渡る国道407号の密接する2本の橋。
全長846m。標識を見ればわかるが、下り線が荒川大橋、上り線が新荒川大橋となっている。
下流側が上り線(新荒川大橋)。上流側が下り線(荒川大橋 東松山から熊谷方面)、下り線の路面高は上り線
より1m位低い。
左岸側と国道17号線を結ぶ通りは中世の鎌倉街道の名残りだという。周辺の地区名は鎌倉町である。
右岸側(村岡地区)の橋詰には、先代の荒川大橋の遺構(トラス桁)が残されている
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               写真B新荒川大橋(中間地点付近)から見た荒川の下流
流路は扇状地河川特有の網状の乱流となっている。この付近は瀬切れ(流水が絶えること)が顕著だという。
左岸の堤防(写真@A)は荒川桜堤として有名。左岸の河川敷には荒川運動公園が広がり、1km下流には万平公園がある。
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                写真C先代の荒川大橋 荒川大橋にあるトラスト広場(南橋詰)
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                             写真D荒川大橋のあゆみ
CD荒川大橋の南橋詰に、旧荒川大橋のトラスの一部分が残されている。写真右が国道407号線。トラスの内側に欄干が見えるが、通路の部分はこの様な形態だったという。ただし、橋面は木製の時代が長く、昭和30年頃まで続いたという。両脇の橋灯は、竣工当時の形へ復刻したものだろう。大橋の形式は、プラットトラスであったというが、保存されている部分はわずかで、現在は再塗装されて銀色になっているが、当初は何色だったかは不明。 

*****新荒川大橋⇒手島の渡し碑⇒吉見堤碑⇒切所沼⇒久下橋付近⇒琴平神社⇒玉作水門 付近まで*****

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                   写真@手島の渡しの跡地 海から75キロ標識手前付近
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                         写真A切所沼
明治43年の大洪水によって、大里郡市田村手島から小泉にかけての荒川右岸堤防は、184間(約331m)に渡って決壊した。そして、この沼は、昭和13年9月1日に上陸した台風により、荒川の堤防が決壊してできたもの。
昭和13年の台風時には、この切れ所と、津田新田の曲堤2ヵ所の堤防が切れ、水死者37名、建造物流失200棟、農作物全滅という大きな被害が出た。ここから5Km下流の荒川の右岸、にも中の淵(鏡ケ淵)がある
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                             写真B
  構図は新久下橋方面と河川敷(高水敷)を見ているのだが・・・小生のデジカメではイメージが出ない!!
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                      写真C新久下橋、右岸上流から
写真中央の橋は主要地方道257号線。写真左方向が熊谷、旧久下橋は写真手前の未舗装道路を左方向、現在
撤去されている。河川敷内には畑が多いのが、荒川の中流部の特徴である。
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                            写真D新久下橋
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                         写真E久下橋付近案内図
この付近でいわゆる荒川の瀬替え(流路変更)がおこなわれた。寛永6年(1629)に荒川は熊谷市久下付近で締め切られ、新たに開削された、水路(延長は推定約4Km)によって、和田吉野川へと繋ぎ変えられた。これによって新しい荒川は和田吉野川、市野川、入間川の流路を辿り、大宮台地の東側から西側へと移されたので、荒川の瀬替えは、利根川の東遷に対して荒川の西遷と称されることもある。 荒川の旧流路である元荒川は、荒川の北側200〜300mの住宅地の中を流れている。元荒川の現在の起点は、久下橋から1Km上流の熊谷市佐谷田である。荒川に久下橋が架かるまでは、両岸の往来は久下の渡し(金兵衛の渡し)注と呼ばれる渡船に頼っていた。渡船場は古くは河岸場(久下河岸)も兼ねていた。左岸側に、旧久下橋から北へ500mに、帰帆(きはん)という河岸場を連想させる古風な地名が残っている。              荒川上流河川事務所 荒川を知ろう、荒川を遊ぼう、から
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                          写真F旧久下橋(冠水橋)
旧久下橋はこんな橋だった!!取り壊しまでは、こんなレトロな橋だった。奇しくも、ここは荒川の瀬替え地点である。2003年11月 新久下橋開通に伴い撤去され、左岸に記念碑が建立されている。   関東地方の川 HPから

久下橋を過ぎ、水防を祈願して祀られた水神「琴平神社」辺りから、健康スポーツセンター(太陽の国)・通殿川排水機場・玉作水門などの建物が眼前に迫ってくる。ここは通殿川が和田吉野川へ合流する地点

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                       写真G玉作水門(上流から)
荒川から和田吉野川へ洪水流が逆流してくるのを防ぐための水門。平成13年(2001)竣工。通殿川(づうどの)が和田吉野川へ合流する地点の上流に設けられている。田園風景の中にそびえ立つ巨大な水門で、とりわけドーム状の上屋は異彩を放っている。近代改修以前の和田吉野川は玉作水門の下流付近で、荒川へ合流していたので、荒川からの洪水逆流の頻度は多く、湛水被害は大きかった。そのため、近世から様々な対策が施されていた。
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                            写真H和田吉野川
この附近から和田吉野川の左岸堤防は荒川の導入堤(瀬割堤)になり、約2Km下流で荒川の右岸へ合流する。

    *****玉作水門(和田吉野川)⇒大芦橋(吉見橋・水管橋付近まで)大芦橋⇒66号線⇒吹上駅*****

                       大芦橋の上から上流方向を撮影
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                            写真@和田吉野川の導流堤
この付近では荒川は大里町の側へ大きく蛇行していた。導流堤の東側(写真の右)には荒川の旧河道跡が残り、それが大里町と吹上町との字界となっている。  豊廼樋管と和田吉野川さらに奥に玉作水門が見える
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                             写真A旧河道跡
寛永6年(1629)の荒川の瀬替えのさいの新流路が偲ばれる貴重な遺構である。この旧河道が吹上町と大里町との境界。普段は水が無いので、その形跡ははっきりしないが、大雨の後には水が溜まり、旧河道の跡が明瞭となる。荒川の旧河道は大芦橋の上流250mの地点で、現在の流路から西へ向かって蛇行を始め、大芦橋の下流付近で元に戻っていた。蛇行区間の延長は約700m。蛇行の終了地点には、かつて大芦河岸があった。西側を和田吉野川がある。本流は写真右側になる。

                        大芦橋から再び右岸堤防を下流へ
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                  写真B和田吉野川(荒川の右岸堤防から)水管橋を見る
和田吉野川は、この地点から1.5Km下流で荒川の右岸へ合流する。和田吉野川の左岸堤防は導流堤(瀬割堤)の役割を果たしている。導流堤とは,本川から支川へ洪水流が逆流するのを抑止する効果もある。写真手前の橋は
吉見橋(冠水橋)。吉見橋を渡った先の荒川の堤外地(写真左端)には、昭和初期まで大芦河岸があった。舟運に従事する人々が集落を形成し、河川敷内に住んでいた!!
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                            写真B吉見橋
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                            写真C吉見橋から見た水管橋
      橋下に流れ川が和田吉野川で水管橋を超えて奥に見える森から流路を左に変え荒川に合流する
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                              写真D中の淵(鏡ケ淵)
この沼は中の淵(鏡ケ淵)、昭和13年9月1日に上陸した台風により、荒川の堤防が決壊してできたもの
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                   写真Eフエンス越え中の淵・大芦橋を見る
大芦橋の右岸アプローチ部分の66号線(写真左端から約1Kmの区間)は、吉見町の飛び地で、横手堤と呼ばれる控堤である。横手堤は荒川の右岸堤防から堤内地側へ向かって直角に設けられている。この堤防は荒川と和田吉野川が氾濫や決壊した時に、上流側(大里町)からの洪水の流入を防ぐために、下流側(吉見町)が寛永年間(1620年頃)に築いたもの。同時期には荒川の瀬替え(荒川の流路を変更)が行なわれている。そのため、この地域一帯は以前よりも洪水流量が増加したので、控堤(横手堤)の建設が必要になった。
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                   写真F大芦橋から荒川上流を見る
荒川本流は、川幅、50b位だが左右の河川敷が一`以上あるのでスケールの大きさに圧倒される。
写真で表現できないのが残念だ!!   川幅日本一は 御成橋(27号線 東松山・鴻巣線に架かる橋)

これで今日の探索は終了。大芦橋から66号線沿いを歩きJR吹上駅(約4キロの道程)を目指す。

小生の万歩計(吹上駅で計測) 通常歩行  31230歩 しっかり歩行 15222 距離 22`  歩行i 840`i

                                   関連ページ
荒川の左岸を歩くパート@熊谷駅から吹上駅へ http://68535631.at.webry.info/200910/article_7.html








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