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zoom RSS 荒川の右岸を歩く パートC 吹上(大芦橋)から(御成橋)鴻巣駅へ

<<   作成日時 : 2009/10/09 08:12   >>

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パートAに続き・荒川右岸側歩いて瀬替えのポイント和田吉野川流路と旧荒川を探りながら水害と戦った集落を探索る

今回の企画も 下記 HP参考にしています
荒川上流河川事務所 荒川を知ろう、荒川を遊ぼう、から  アドレス http://www.ktr.mlit.go.jp/arajo/index.html
関東地方の川  アドレス http://www.geocities.jp/fukadasoft/rivers/index.html  

                       2009年4月28日(火曜日)
                              コース概略
吹上駅⇒(タクシー)(66号線)⇒大芦橋⇒旧河道跡・吉野川導流堤⇒輪中堤⇒五反田河岸道標⇒
⇒右岸堤防と自転車道⇒(河川敷の中へ)⇒糠田橋(右詰付近) 橋上より確認{武蔵水路(付近&注入口)}:
{荒川の旧河道}⇒糠田橋右詰 橋梁下へ}⇒明秋神社⇒旧荒川堤(左岸) 明秋湖⇒御成橋(右詰付近){横堤 御成河岸}⇒(旧荒川堤)⇒河川敷の神明宮⇒旧荒川に架かる橋⇒原馬室橋⇒御成橋(27号線 東詰)⇒鴻巣駅

           *****大芦橋付近(荒川右岸の下流)⇒吉見橋⇒吉見ゴルフ場付近*****
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                         写真@大芦橋右岸橋詰から
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                      写真A和田吉野川(右岸)から見た荒川
         手前の橋は吉見橋、奥に大芦橋が微かに見えるが荒川本流は見えない
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            写真B旧河道跡(和田吉野川)と大芦橋を見る(下流の吉見橋から撮影)
この旧河道は昭和初期の河川改修で掘削されたもの。写真上部の橋は大芦橋。大芦橋の周辺には荒川の旧河道跡(江戸時代以前は和田吉野川)が残る。大芦橋の右岸アプローチ部(写真左端から約1Kmの区間)は、横手堤と呼ばれる控堤である。この堤防は荒川と和田吉野川が氾濫や決壊した時に、上流側(大里町)からの洪水の流入を防ぐために、下流側(吉見町)が寛永年間(1620年頃)に築いたもの。同時期には荒川の瀬替え(荒川の流路を変更)が行なわれている。
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   写真C水管橋、橋の下に流れ川が和田吉野川で写真左側に吉見橋、奥に方向に大芦橋ある
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              写真D荒川の右岸堤防(吉野川右岸堤防)から、吉野川が流れを変える場所
       和田吉野川が水管橋を超えてこの付近で流路を左に変え荒川(写真の中央)に合流する。
       写真右側は県営 吉見ゴルフ場

                     和田吉野川の流路変遷:
和田吉野川は江戸時代以前、市野川や入間川の支川であった。江戸時代初冬の荒川の瀬替え(1629年、伊奈忠治)によって、荒川は熊谷市久下で流路が締め切られ(久下から下流の旧荒川は、現在は元荒川)、締め切り地点から大里町玉作付近までは新しい河道(新川)が掘られて、和田吉野川へと繋げられた。つまり、現在の荒川の流路のうち、大芦橋(大里町〜吹上町)から糠田橋(吉見町〜鴻巣市)までの区間は、かつては、和田吉野川であったと推測できる。昭和初期に実施された荒川の近代改修によって和田吉野川の下流部は大幅に流路が変更されているので、江戸時代の荒川(和田吉野川の旧流路)は不明瞭となっているが、大芦橋の上からは和田吉野川の旧流路跡が確認できる。糠田橋の下流から荒井橋(北本市〜吉見町)の間に残る旧荒川も瀬替え以前は和田吉野川だったと思われる。

  *****吉見ゴルフ場付近(荒川右岸堤防)⇒輪中堤⇒五反田河岸道標⇒吉見運動公園の西側*****

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                         写真@輪中堤と五反田河岸道標 周辺図
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                             写真A輪中堤と吉見ゴルフ場
                    @A輪中堤(水と戦う人々の、守りの鉄則)
輪中堤とは大囲堤のことで、水害に備えて集落を輪のように囲む堤です。 江戸時代は、大里町や比企郡に大囲堤が集落を守る「輪中堤」がありました。輪中地帯は、昔から未曾有の降雨で浸水がひどく、 人々が洪水の害から逃れるために村落のまわりに堤防を輪のように築いたもので、人間と水との戦いの証でもあります。 『荒川上流改修80年の歩み、さいたま川の博物館展示解説書』には、江戸時代に書かれた絵図が残り、現在の地図と照らし合わせると、大囲堤の位置や、そのしくみが理解できます。 恐ろしい水の害から集落を守ろうとした当時の人々の思いにふれて、あらためて堤を歩くと感慨もひとしお。吉見町の大芦橋から埼玉県民ゴルフ場へ続くサイクリングロードを進むと、輪中堤の立体像がつかみやすい
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                             写真B五反田河岸道標
50余年ぶりに故郷に帰った道標、江戸時代から昭和初期まで栄えた船着場五反田河岸に道標をかねた供養塔が建っていましたが、昭和4年頃より行方がわからずに探していた。 偶然にも鴻巣出身東京在住の奥田多歳氏により、都内大田区山王町の旧徳富蘇峰邸にあることがわかり、地元住民及び有志こぞって返還を懇願。
昭和60年7月、50余年ぶりに故郷に帰りました。正面には「天下泰平国土安穏」と書かれ、側面には、
「右まつやま、左よしみいわどの道表面にはめぐり来て、五十路に近きとしなみのよをふる里へ帰るしるべに」と書かれています。位置は クラブハウスより下流側堤(標識海から66`)を少し入ったところ
              @写真 ABの記事 荒川上流河川事務所 荒川を知ろう、から

*****荒川右岸堤防を、左にゴルフ場を見ながら歩を進めると、吉見運動公園が見えてくる。折角なので
             堤防を降りて公園西側を横切り河川敷の中の道に入り「荒川の本流」右岸を探索する*****
       荒川本流〜明秋墓地整備記念碑〜荒川で釣りをする人〜糠田橋 横堤(右岸付近)から橋上へ

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                             写真@
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                             写真A
@Aご覧のような道で、迷い込んだようだが、この付近の荒川は狭窄部となっていて、これまで1Km以上あった堤防間の幅は、ここでは600mとなっている。かつては和田吉野川であったと推測できる現在の荒川を見ることができる場所
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                             写真B明秋墓地整備記念碑
武蔵水路の注水口から300m上流の付近。右岸の河川敷は吉見総合運動公園。かつては明秋村の集落が軒を連ねていたのだが、昭和15年頃の荒川の河川改修に伴い、集落の大半が糠田橋右岸の横堤(写真右上隅)の下流側へ移転している。墓地については、昔のままの地で、大勢の方々の霊が眠っておられます。
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                             写真C荒川で釣りをする人
荒川で釣りをする人、こんな場所(失礼!!素晴らしい場所)で釣りを楽しんでいる。この付近で水流音が聞こえる、
武蔵水路が荒川へ流れ込む注水口が近い!!

           糠田橋 横堤から糠田橋 橋上へ 武蔵水路合流点確認して再び糠田橋 横堤へ

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                  写真D糠田橋 親柱(吉見観音の虎を抽象化したもの)
この親柱は、永い歴史の中で幾多の史跡を残す吉見町の伝統文化の継承・保持と新しい文化の発展を願い、
左甚五郎の作と伝えれれる、吉見観音の虎を抽象化したものです。
                    
                        糠田橋 橋上から撮影
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                          写真E武蔵水路 - 荒川への注水口
荒川へ注水する利根川の水(荒川の下流から)糠田橋から撮影。写真右から中央へ堤外水路が合流
利根大堰から始まる約15kmの水の旅は、荒川へ合流して、いったん終了。このあと、利根川から運ばれた水は荒川を約30Km流下し、秋ヶ瀬取水堰(埼玉県志木市)で取水される
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                       写真F糠田橋から荒川の下流を見る
こちらは昭和初期に開削された人工水路。糠田橋の上流では約600mまで狭くなった堤防間の幅は糠田橋の下流から再び広くなり、この付近では2Km以上もある。高水敷(河川敷)は一面に麦畑、写真右に旧荒川が流れる。
や〜とにかく広い、広い!!
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               写真G荒川の旧河道(旧荒川)糠田橋から撮影(下流方向を見る)
荒川本流の南側(右岸)には旧荒川の跡が2Km以上に渡って残っている。
旧荒川は江戸時代初頭の瀬替えで流路が確定してから、昭和初期の近代改修で廃棄されるまで約300年間、
荒川の流路だった。旧荒川は大きく蛇行し、水際には鬱蒼とした河畔林が形成されている。
鴻巣市と吉見町の行政界は荒川ではなく旧荒川である。なお糠田橋の右岸には控堤、大工町堤も残っている

  *****再び糠田橋の橋下へ⇒明秋神社⇒明秋湖⇒御成橋河岸(右詰付近)⇒旧荒川に架かる橋まで*****

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                         写真@明秋神社
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           写真A 糠田橋 河川敷から撮影 橋下の農道を歩いて明秋湖(旧荒川)へ
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                 写真A明秋湖(下流から) 旧荒川の最上流部
旧荒川の最上流部は川幅も広く、形態的には沼のようなので、明秋湖と呼ばれている。釣りの名所だそうで、付近には駐車場があり、岸辺には数多くのデッキが設けられている。近代改修以前は旧荒川の河川敷には、広大な河原が形成されていて、砂利の採掘が盛んに行なわれていたようだが、今はその面影もない。河川敷には砂利よりも砂が多く分布する。
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                          写真B横堤の周辺図及び探索コース
 地図上の吉見運動場右側〜荒川本流の岸を糠田橋手前〜県道76号線〜糠田橋上〜橋下へ戻り〜明秋神社
 〜農道〜明秋湖〜旧荒川沿い〜御成河岸〜旧荒川沿い〜旧荒川に架かる橋〜高水敷〜原馬室橋〜

                横   堤 ・・・・・下流域の急激な増水を遊水効果で調節する堤防
 横堤は、江戸時代から洪水の被害を小さくするためにつくられた、防災の知恵でした。 通常堤防は川の流れに沿って築かれるもので、横堤は川の流れに対し垂直に構築されます。 洪水時、増水した水が横堤にぶつかり遊水効果を高めることで、下流域が急激に増水するのを調節する役目があります。 荒川の中・下流域は江戸時代に行われた瀬替えなどで、洪水の危険が増しました。 人々は地域を堤防でぐるりと囲む囲堤や横堤などで水害と闘いました。横堤は主に現在の志木市や富士見市、朝霞市周辺で築かれていました。 現代においては、戦後川幅を拡幅(最大2.5km)し、吉見町の糠田橋付近から戸田市笹目橋までの間に26本の横堤が設けられ、洪水時の遊水効果を高めています。 またその多くが主要道の土手として使われています。
他の所在地 比企郡吉見町、比企郡川島町、川越市、志木市、戸田市などがあります
                 写真B 横提記事 荒川上流河川事務所 荒川を知ろうから

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                             写真C
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                             写真D
CD旧荒川は、かっての荒川の姿を今にとどめる場所として、また岸辺には河畔林が連なり自然そのまま!!
   実に美しく、感動する・・・。
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                         写真E河川敷内の神明宮
写真の奥に見えるのが旧荒川の河畔林。神明宮は河岸の守護神として寛保三年(1743)に創建された。河岸とは上流にあった御成河岸のことだろう。神明宮の社殿は洪水で頻繁に破壊されたようだ。
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                 写真F御成橋下流の荒川右岸の高水敷(河川敷)を見る
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                 写真G御成橋下流の荒川右岸の高水敷(河川敷)を見る
FG高水敷(河川敷、下流方向)一面に田畑、写真左に旧荒川が流れる。写真、正面に御成橋 右に荒川本流
洪水時は此処は一面に冠水する
写真左側から右方向へ木立が見えるが、御成橋の横堤で、1,7キロもある。非常に広大な高水敷が設けられている。堤防天端が県道27号線となっている。県道には、かつて河岸場があったことを示す、御成河岸という名のバス停がある。バス停付近には旧荒川の河道跡が残っていて、すぐそばの稲荷神社には旧御成橋の遺構が保存されている。なお、御成橋右岸の横堤に沿った明秋、古名地区は堤外地だが、集落があり現在も人が住んでいる。堤外地に私有地が(農地だけでなく民家も)多いのも荒川の特徴だ
写真FGを繫げパノラマで創造してください。未熟なもので御免なさい。
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                          写真H旧荒川に架かる橋
原馬室橋の周辺(低水路の西方1km)には、旧荒川の蛇行跡が湖沼として、約3kmにわたり残っている。旧荒川とは、昭和初期におこなわれた荒川の河川改修によって廃棄された荒川の旧流路。ということは江戸時代に付替えられた旧・和田吉野川であろう。旧流路の周囲には、見事な河畔林(ハンノキのようだ)が群生している。写真の橋は、鴻巣市原馬室、吉見町蓮沼新田、北本市高尾の境界付近に位置。荒川の堤防内なので、この橋も冠水橋である。写真上部の広大な高水敷は、旧流路の乱流・蛇行跡を堤防で囲んだ結果で、洪水調節池として機能する。 横堤、河道を使った調節池と、荒川は個性のある川だ。

 ・・・・・この高水敷(河川敷)の中の農道を歩き、荒川本流の御成橋の下流にかかる冠水橋「原馬室橋」へ・・・・・

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                      写真@冠水橋「原馬室橋」 右岸から
   高水敷内は、ほとんどが農地となっているので、原馬室橋は生活・農道橋としての役割も大きい
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              写真A原馬室橋から上流の御成橋を見る、微かに御成橋が見える
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                   写真B原馬室橋から下流を見る
この付近の荒川は昭和初期に開削した人工水路。写真の左側が荒川の左岸。左岸は河岸段丘になっていて、関東ロームの台地(大宮台地が発達しているいて自然堤防。鴻巣市からさいたま市まで荒川左岸には、旧中山道(JR高崎線の沿線)に沿って、)。そして旧中山道がほぼ利根川水系との分水界となっている

             *****原馬室橋⇒荒川左岸高水敷⇒御成橋左岸橋詰⇒鴻巣駅へ*****

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             写真@荒川左岸河川敷(原馬橋付近)   ポピーの開花はご覧のとおりで残念!!
「花の町鴻巣」を全国にアピールする事を目的に約125000平方bの敷地に1000万本のポピーを栽培。2008年に「日本一広いポピー畑」に認定される。毎年5月にはポピー祭りが開催。又、この花畑は「日本一の川幅」と認定された御成橋下に広がり、此処から望む富士山(富士見百景にも選定された)は絶景の一言。 鴻巣市観光協会より
                         
                               御成橋 橋上

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                             写真A日本一の川幅
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                          写真B御成橋 吉見町方面(右岸)を見る
AB日本一の川幅2537bの鴻巣市側の地点は、此処より上流630bの地点です。
   川幅は左右岸の計画高水位での堤防間の距離としています
AB 御成橋自体の長さは約800mで、右岸側には延長1.7Kmにも及ぶ横堤が設けられている。荒川の治水計画は上流部はダムで、中流部は河道で洪水を貯留させるよう策定されている。つまり、中流部では河川敷を遊水池として利用しているので、こんなにも広大な空間を要する。これでも 200年確率の計画洪水量に対しては、まだ不足であるという。
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 写真C御成橋 橋上から下流を見る。高水敷(河川敷)の「日本一広いポピー畑」  2009/05/20撮影
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                   写真D 川幅日本一 鴻巣市管内情報パンフレットより
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        写真E御成橋付近(吉見町・鴻巣市) 昭和57年9月撮影 荒川上流河川事務所 荒川を知ろうから 

   今日のウォーキングは心に残る感動の探索だった!! 帰路は御成橋から鴻巣駅(約2`)へ  
  尚、小生の万歩計は 通常歩行 32919歩 しっかり歩行 14976 消費i868`i 歩行距離24`

                              関連ページ
 荒川の左岸を歩くパートB吹上駅から鴻巣駅へ http://68535631.at.webry.info/200911/article_4.html



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