トッチャンのウォーキング

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zoom RSS 荒川の左岸を歩く パートB 吹上駅から鴻巣駅へ

<<   作成日時 : 2009/11/12 17:32   >>

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荒川の歴史探索シリーズB 大芦橋から御成橋まで歩く!!この区間の荒川左岸は春「ポピー」秋「コスモス]が
咲き、フラワーベルトとして整備されている。又、荒川の流域は、荒川扇状地の扇端から沖積低地へと移行する。
今回は、春を満喫しながらの探勝ウォーキング

今回の企画・記事は 下記 HP参考にしました。
関東地方の川  アドレス http://www.geocities.jp/fukadasoft/rivers/index.html

                       2009年5月20日(水曜日)
                           コース概略
  吹上駅⇒榎戸堰公園(新宿橋)⇒荒川堤⇒荒川パノラマ公園(フラワーベルト)⇒大芦橋⇒
    水管橋⇒(コスモスアリーナ付近)・堤から河川敷へ(吉野川合流点)へ⇒水防倉庫(荒川堤)⇒
      糠田排水機場の樋管⇒武蔵水路探勝⇒大間築堤碑⇒行人樋管⇒(河川敷内を歩く)⇒
             滝馬室橋⇒御成橋 橋下(滝馬室河川敷 ポピー祭り会場)⇒御成橋 橋上⇒鴻巣駅

*****吹上駅⇒榎戸堰公園(新宿橋)⇒荒川堤⇒荒川パノラマ公園(フラワーベルト)⇒大芦橋*****
                          榎戸堰は元荒川の一番堰
榎戸堰は元荒川に建設された、最上流かつ最初の堰(元荒川一番堰)。歴史は古く、元荒川が荒川だった頃
(1629年の荒川の西遷以前)に設けられ、形式は建設当初から堰枠だった。木造の堰は大雨で元荒川が増水すると破壊されやすく、建設後にもその都度、修復や改築が行なわれていた。
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                           写真@榎戸堰公園
      榎戸堰の周辺は榎戸堰公園。吹上町では、他にもせせらぎ公園、水辺公園が元荒川に沿いある。 
      奥に見えるのが榎戸堰
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            写真A現在の榎戸堰(1966年竣工)、元荒川から農業用水を取水する
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                          写真B新旧の榎戸堰
   旧榎戸堰は明治36年(1903)に建設された赤煉瓦造りの堰。旧堰の跡は元荒川の右岸に護岸として残る。
   その延長線上には旧中山道が通っていて、榎戸樋管(煉瓦造、1901年竣工)がある
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                   写真C榎戸堰の上流 写真上部は荒川堤
写真上部に荒川左岸堤(荒川本流)が見える。此処まで並行していた元荒川は荒川本流から分かれ、
流路が南東へ向かって流れる(行田市、吹上町、鴻巣市、川里町、菖蒲町、桶川市、蓮田市、白岡町、岩槻市)を 経由して、越谷市中島で中川の右岸へ合流し東京湾へ
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                  写真D荒川堤と旧中仙道、久下、熊谷市内に到る
             写真右側に元荒川が流れる。そして正面からコッチ方向への道路が旧中山道
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                          写真E分岐点標識
               写真左方面が荒川左岸堤 手前が榎戸堰公園方面(旧中山道)へ
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                 写真F荒川左岸堤と旧中仙道、堤防上から熊谷方面を見る、 
           ・・・・・以上の此処までの区間の写真@〜Fは4月3日撮影したのを使用・・・・・
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                  写真G大芦橋の親柱と水管橋、荒川の左岸上流から
大芦橋は県道66号行田東松山線の橋で、荒川水管橋の上流500mに位置する。荒川と和田吉野川を跨いでいる。 全長1016m、昭和54年(1979)竣工。大芦橋の周辺には、名前のとおり芦が群生している。
大芦橋の右岸側には横堤(荒川の控堤)となり、今もその跡が吉見町の飛び地として残る。
     写真は関東地方の川から拝借   堤防補強工事中の為 迂回して下流側へ

     *****大芦橋⇒水管橋⇒(コスモスアリーナ付近)⇒吉野川合流点)⇒水防倉庫(荒川堤)*****
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                       写真@ポピーと水管橋 下流から
堤防には、パノラマ公園から水防倉庫の付近(吹上町小谷)まで約3kmに渡って5月はポピー秋にはコスモスが咲く(荒川コスモス街道)。水管橋から下流の左岸もスーパー堤防で、吹上町民体育館と総合運動場が設けられている

               ・・・・・アリーナ付近堤から河川敷の中へ・・・吉野川合流地点を目指す・・・・・
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                     写真A和田吉野川の合流(下流から)
          判りにくいが写真中央に和田吉野川が合流している。右岸は吉見ゴルフ場、
          左岸の吹上町小谷付近から撮影している(荒川水管橋から1Km下流の河川敷)
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                            写真B下流を見る
            暫く荒川本流傍の河川敷を探索して河川敷(広大な農耕地)からの脱出へ!!
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               写真C水防倉庫(荒川北緑水防事務組合)付近の九頭龍大神
     九頭龍大神 水防倉庫の脇には明治25年(1897)建立、大正15年(1926)再建の碑が祀られている。
     この付近の河川敷内には、昭和初期まで河岸場と渡船場があり、五反田河岸と五反田の渡しがあった
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                     写真D水防倉庫付近から上流を見る
河川敷には広い範囲に農耕地で、ほとんどが畑地で野菜などが栽培されている。養蚕が盛んだった頃は一面が
桑畑だったそうで、砂地の土壌が桑の生育に適したのだという。河川敷には所々に小規模な河畔林も見られる。
              脱出!!は、この畑地(麦畑)のあぜ道を通った

               *****水防倉庫⇒糠田排水機場の樋管⇒武蔵水路探勝*****
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                         写真@糠田排水機場の樋管
荒川の中流部では、左岸から合流する支川は少ないが、中小の都市排水路が数多く合流している。そのため、
左岸側では写真のような排水樋管が随所で見られる。渡内糠田排水機場には足立北部一号・二号排水路からの水が集められて、荒川に放流されている。北部排水路は鴻巣市の一部と吹上町からの排水路。樋管で堤防を横断した後は、河川敷に設けられた千間堀と呼ばれる堤外水路で、荒川まで導水している。

                 ・・・・・武蔵水路の堤外水路と注水口(合流口)・・・・・
武蔵水路は、利根川と荒川を結ぶ水路で昭和43年、利根大堰糠田樋管まで約15`を結ぶ連絡水路として完成し、毎秒最大で50立方bを通水してます。水路は荒川の左岸堤防を樋管で横断してから、荒川の河川敷を流れる。   樋管を起点として荒川の河道に合流するまでの水路を堤外水路という。
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                    写真A堤外水路の始点(下流の外聖橋から)
    両樋管の後ろは、荒川の左岸堤防。左の樋管は糠田排水機場、右が糠田樋管(武蔵水路)。
    排水機場は洪水時に武蔵水路に導水された水(忍川、元荒川)をポンプで排水する施設である。
    排水機場と武蔵水路の導水路は、荒川の左岸堤防から約100mの地点で堤外水路に合流する
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                   写真B落差工(下流から) 微かに見える橋は糠田橋
     100m下流で堤外水路は荒川と合流する。その前に落差工で減勢(水の勢いを弱くする)。
     流量50m3/sの水が創り出す轟音は凄まじい。写真上部は、荒川の右岸堤防。
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                   写真C堤外水路の注水口(荒川の上流から)
写真左端(注水口)から中央(荒川)へ約45°の角度で注水(合流)。合流付近や右岸には、減勢や根固めの
ためのコンクリートブロックが大量に設置されている。
利根大堰から始まる約15kmの水の旅は、荒川へ合流して、いったん終了。このあと、利根川から運ばれた水は
荒川を約30Km流下し、秋ヶ瀬取水堰(志木市)で取水される。

    *****大間築堤碑⇒行人樋管⇒(河川敷内を歩く)⇒滝馬室橋⇒
                御成橋 橋下(滝馬室河川敷 ポピー祭り会場)⇒御成橋 橋上⇒鴻巣駅*****
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                      写真@大間築堤碑(左岸上流から)
        鴻巣西中学校西側の左岸堤防の中段に設けられている。明治三十年(1897)建立、
        題字は近衛篤麿、撰文が清浦奎吾(当時は司法大臣、後に内閣総理大臣)。
明治8年(1875)に民間人が建設し大間堤を記念したもの。堤防の規模は長さ508間(914m)、高さ1丈3尺(4.2m)
だったと記されている。当時の荒川の堤防は現在のように連続堤防ではなく、水防重点地区に部分的に設けられたので、堤防にも名前があった。
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                            写真A行人樋管
大間築堤碑から600m下流、大間と滝馬室の境界付近。写真の奥に見える赤い橋は御成橋。
大間堤は昭和22年(1947)のカスリーン台風によって、行人樋管の付近で決壊している。ここから100m下流には、
その災害復旧記念碑が建てられている。この付近では荒川の左岸堤防は、住宅地の側(河岸段丘)へ山付けされ(山付堤防)、自然消滅する形態になっている。段丘の周辺には崖や谷地も見られ、地形は変化に富む。
写真後方に連続して見える森林は自然堤防で大宮台地になる。つまりこの付近から大宮台地が始まる。
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                         写真B災害復旧記念碑(大間)
    滝馬室橋から上流へ200m付近の左岸堤防(旧.大間堤)の上に建つ。昭和32年建立、
題字は内閣総理大臣 岸信介 昭和22年(1947)の9月15日、カスリーン台風によって、大間堤防は約90mに
渡って決壊し、行人樋管も破壊された。この碑は昭和23年5月30日に竣工した復旧工事を記念したもの

              ・・・・・滝馬室橋・御成橋の周辺(河川敷内を歩く)・・・・・
滝馬室橋の付近は、かつての堤防決壊地である。昭和22年(1947)のカスリーン台風による洪水で、荒川の左岸堤防は滝馬室橋の上流付近が決壊している。この時はさらに上流の熊谷市久下でも左岸堤防が決壊した。
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                           写真C滝馬室橋(右岸から)
滝馬室橋は荒川の低水路(昭和初期に開削した人工水路)に設けられた長さが約60mの木の橋(冠水橋)。
そして河川改修で分断されてしまった土地(高水敷内)への連絡は、ほとんどが農地となっている。
滝馬室橋は農道橋としての役割も大きい。滝馬室橋の両岸が鴻巣市滝馬室である。
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              写真D滝馬室橋から人工水路の荒川の下流を見る。赤い橋は御成橋
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                          写真E満開のポピーをバックに
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写真F御成橋上からの撮影
「花の町鴻巣」を全国にアピールする事を目的に約125000平方bの敷地に1000万本のポピーを栽培。
2008年に「日本一広いポピー畑」に認定される。毎年5月にはポピー祭りが開催。又、この花畑は「日本一の川幅」と認定された御成橋下に広がり、此処から望む富士山(富士見百景にも選定された)は絶景の一言。
このほか荒川堤のポピーフラワーベルトも見事です。             鴻巣市観光協会HPより引用
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                          写真G御成橋 左岸下流から
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                     写真H御成橋 橋詰から吉見方面を見る
GH江戸時代、このあたりは徳川御三家尾張家の鷹狩場になりました。橋の名は将軍が「お成り」になるのでつけられたとされています。なお当時の橋は「お成り」になる時だけの臨時の橋だったようです。この橋は「鷹の道」にかかる橋で、道の名も同様の由来です
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                      写真H御成橋(日本一最長の川幅)
            日本一の川幅2537bの鴻巣市側の地点は、此処より上流630b地点です。 
            川幅は左右の計画高水位での堤防間の距離としています。

  関連 荒川の右岸を歩くパートC吹上から鴻巣へ http://68535631.at.webry.info/200910/article_5.html
                
                  今日の探索は終了、鴻巣駅まで約2`の道のり
      万歩計は 通常歩行 29354歩 しっかり歩行 16058歩 距離 22` 消費i 837`i





   


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