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zoom RSS 幸手権現堂 水仙祭り鑑賞と中川の歴史探訪

<<   作成日時 : 2010/01/31 13:36   >>

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幸手 権現堂では、今年から第1回水仙まつりが開催されるという。
春の桜と菜の花で始まり、アジサイ・彼岸花・そして水仙と権現堂堤は一年中、彩やかに楽しめるようになった。
早速、友人と意気投合し行くことにした。 コース設定は“中川の歴史探訪と権現堂水仙祭り鑑賞”
                        2010年1月29日(金)
                            コース概略
  鷲宮駅 東武伊勢崎線⇒(鷲宮役場付近)⇒宝泉池⇒門樋橋⇒古利根橋梁⇒(日光御廻道)島川橋⇒
       稲荷木落合流点⇒(新幹線橋梁)⇒昭和橋⇒高須賀池⇒島中領排水路の合流⇒
         (東武日光線橋梁)(4号線)⇒権現堂 水仙祭り会場⇒日光街道 御成道⇒葛西用水路⇒和戸
今回のコース設定は下記HPを参考にしています
関東地方の川  アドレス http://www.geocities.jp/fukadasoft/rivers/index.html 
関東地方の川のHPを元にコース設定をし、記事や写真構図まで、参考にしてウォーキングして作成したものです
従いまして、本ページに掲載されている文章はフカダソフト社の著作物です。無断引用・無断転載はご遠慮ください

         *****鷲宮駅⇒(鷲宮役場付近 葛西用水路)⇒旧利根川流路⇒宝泉池⇒*****    
                     鷲宮役場付近の葛西用水路
鷲宮町役場の西側から宝泉寺池へ通じる道路は、近世以前のある時期には利根川の河道だった。
付近には古川という地名が残っている。古川(古利根川)は文禄年間(1595年頃)に、権現堂川への分岐地点に
蛇田堤が築かれて流頭が締め切られた。そして古川は葛西用水として整備された。

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                      写真@古川橋から下流方向の葛西用水路
       役場の付近の下流側、葛西用水路は、古利根川の旧流路を用水路として再利用したもの。
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                         写真A金山橋から上流方向の用水路
   役場付近の上流側は、加須市川口までは新たに水路を開削して、会の川(南利根)へと繋げた区間である
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                          写真B鷲宮役場南東側の遊歩道
役場の南東側には「花と緑の元気ロードが整備されていている。全長2・2キロ(古の道 砂丘の道 さくらの道)
古利根川が形成した内陸砂丘(鷲宮砂丘)や昔の古利根川河道、洪水で出来た池など歴史にふれながら散策できる
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                                写真C宝泉寺池
    宝泉寺池は門樋橋(県道3号大宮栗橋線)から南側へ300mに位置。
    宝永元年(1704)の利根川の洪水によって形成された池。
    島川(中川の旧名)の右岸堤防が決壊してできた落ち堀で、現在の大きさは南北200m、東西100m。
    規模は以前より小さくなっているという。なお、
    宝泉寺池の西側(写真右)では浅間川〜権現堂川の流れから古利根川が南へ向かって分流していた。
    付近には古利根川の締切堤防である。蛇田堤の跡、栗橋線(東側)八甫から東大輪、西大輪には、
    古利根川が形成した鷲宮砂丘(内陸砂丘)も現存する。
    写真正面奥方向が鷲宮役場、左前方に栗橋線があり鷲宮砂丘林が見える
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                      写真D宝泉寺池 鷲宮町案内版(クリック)

   *****門樋橋⇒古利根橋梁⇒(日光御廻道)島川橋⇒稲荷木落合流点⇒(新幹線橋梁)⇒昭和橋*****

              +++++門樋橋から昭和橋下流の島中領排水路の合流まで+++++
この付近の中川は昭和初期に改修されるまでは島川だった。古くは、島川は万治3年(1660)に
幸手領用水(葛西用水)の開削に関連して、羽生領の悪水落しとして新規に整備された人工河川である。
路線は利根川の故道である。古川(旧権現堂川)の跡地に沿っている。近世初頭まで利根川の流れは、
葛飾郡八甫村(現在の鷲宮町八甫)で、旧権現堂川(東へ流れる)と古利根川(南へ流れる)の2つに
分かれていた。島川は八甫村の対岸に位置する、栗橋町島川を起点として、幸手市外国府間)で権現堂川に
合流していた。
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                写真E門樋橋(上流右岸から)古門樋橋の1.3Km下流に位置。
橋名は天保三年(1832)に、羽生領の逆流防止水門として設けられた島川門樋に由来する。
島川門樋は権現堂川(旧.利根川)から島川へ洪水流が逆流するのを防ぐための水門で最初は古門樋橋の
付近にあったが、後に下流へ移された。そこが現在の門樋橋の付近であった(高柳門樋とも呼ばれた)。
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                     写真F浅間神社 蛇田堤(南側から撮影)
    門樋橋から南東へ100mの付近。浅間神社を南側から撮影。写真の奥が中川の右岸堤防。
    蛇田堤は堤防としての形態はほとんど残っていない。現在は町道として使われている。
    蛇田堤は古利根川を締め切るために江戸時代初期に築かれた堤防。
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                          写真G門樋橋の付近(右岸下流から)
    右岸(写真左側)には仙台堤(伊達藩の御手伝普請だろう)と呼ばれる旧堤防の跡が残っている。
    600m下流には古利根川橋梁(JR東北線)が架かっている。
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                    写真HJR宇都宮線 古利根川橋梁 下流右岸より
   古利根川橋梁の南側(写真左側)にあり、中川に沿った町道はかつての日光御廻道である、
   御廻道(おまわりみち)とは、日光道中の迂回路であり、栗橋宿と幸手宿を結んでいた。
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                            写真I島川橋 下流右岸より
      島川橋の付近に島川の渡しがあった。栗橋町島川と鷲宮町八甫二丁目を結んでいた。
      島川の渡しは島川橋の架橋に伴い、昭和20年頃に廃止されたようである。
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                        写真J 稲荷木落の合流(中川右岸から)
                   左岸:栗橋町新井、右岸:鷲宮町八甫二丁目
    島川橋下流約600m、左岸へ稲荷木落(排水路)が合流。(写真中央から流れ込んでいる)
     稲荷木落は渡良瀬川の旧流路跡を整備・改修した悪水路であり、現在は大利根町と栗橋町の
    排水を担っているが、かつては島中領(現.栗橋町周辺)の落しであった。
    この付近では川幅は約100mに拡幅されていて、両岸には巨大な堤防が築かれている。
     かつて、この付近には新井の渡しと呼ばれた渡船が運行していた
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                             写真K新幹線橋梁 下流から
          左東鷲宮・右方向が栗橋駅になる新幹線が鷲宮町八甫 幸手市の境界付近地域になる
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          写真L栗橋・鷲宮衛生組合八甫クリーンセンター(右岸側に煙突が見える) 下流から 
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                            写真M昭和橋 上流から
両岸に神社が鎮座されている。左岸の氷川鹿島大神宮(栗橋町狐塚)、右岸の香取八幡神社(幸手市円藤内)。
氷川鹿島大神宮は武甕槌命と素盞鳴尊を合祀しているが、明治時代には氷川社と称していた。
          昭和橋の付近には、かつて狐塚の渡(弁才の渡し)と呼ばれる渡船場があった。
          右岸橋詰の香取神社には弁財天と水天宮が祀られている。
          なお、昭和橋の架橋(昭和5年頃)に伴い、渡しは廃止となったようだ。

      *****昭和橋⇒高須賀池⇒島中領排水路の合流⇒(東武日光線橋梁)(4号線)⇒権現堂*****
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                               写真N高須賀池
   池は中川の右岸堤防の裾に位置する.。天明六年(1786)の利根川の洪水によって形成された池(落ち堀)。
   3年前に起こった浅間山の噴火の影響で火山灰などが堆積し、中川(当時は島川)は上昇し、
   洪水が起こりやすくなっていた。
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                       写真O高須賀池 案内板幸手市(クリック)
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              写真P島中領排水路の合流(右岸から)  関東地方の川HP写真借用
           高須賀池の対岸、東武日光線 島川橋梁から西へ200mの地点では、
           島中領(栗橋町一帯の旧名)の2つの排水路が中川の左岸へ合流している。
           右端が大堀排水路、左端が広島落し(島中領大排水路)である。
           右岸側は幸手市ジョギングコースとなっている

            *****武日光線 島川橋橋梁⇒国道4号線⇒幸手権現堂桜堤***** 
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                          写真@東武日光線 島川橋橋梁
           建設年:昭4年(1929) 橋梁名の島川とは、河川改修前の中川の旧名称 
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                            写真A幸手権現堂さくら堤  
江戸時代初頭から存在する古い堤防で、過去に数度の改修が行なわれた。
明治8年(1875)には権現堂川に合流していた島川を締切るために、地元負担(民間費)で新たに築堤がなされた。  現在、権現堂堤は中川の右岸堤防となっている。
  堤防天端は、遊歩道が整備され、春には、両脇に埼玉県随一の見事な桜並木や菜の花が見事に咲く。そして、
  NPO法人幸手権現堂桜堤保存会の会員様のご尽力により、初夏にはアジサイ・秋に彼岸花、
  今年から水仙が植えられ一年中、権現堂堤は彩やかに楽しめるようになった。

               +++++権現堂 水仙祭り 『第1回水仙まつり』を開催+++++
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                             写真B峠の茶屋付近
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                                  写真C
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                                  写真D
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                                  写真E
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                       写真F桜堤天端 桜見の頃は混雑しますが・・・・・
                    B〜E  2010年1月9日(土)〜2月21日(日)
    幸手市の権現堂公園で、四季折々の花を楽しむことが出来るようにとの思いから、
  NPO法人幸手権現堂桜堤保存会の会員が、あじさい・曼珠沙華に続き、平成15年からボランティアで
  スイセンの植栽を開始。市民の提供などにより、スイセンの本数が増え、現在では約20万本になっている。
             
            帰り路 権現堂⇒日光街道⇒御成道⇒葛西用水路⇒和戸橋
                     葛西用水路左岸では蝋梅の香りが・・・・・
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                                  写真G
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                                  写真H

   今日の万歩計は 通常歩行 28595 しっかり歩行 27371 消費i 963`i 歩行距離 22`
         
            関連参考ページ  下記 昨年4月歩いています  
         幸手権現堂桜堤・桜と菜の花の競演と広島落川桜鑑賞ウォーク
          http://68535631.at.webry.info/201003/article_2.html




  

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