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zoom RSS 幸手権現堂桜堤・桜と菜の花の競演と広島落川の桜鑑賞ウォーク

<<   作成日時 : 2010/03/14 19:48   >>

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              昨年の桜鑑賞見納めウォーキングは””幸手の権現堂桜堤 ””
そして初めて歩く南栗橋駅、西側に流れる、広島落川両岸約1`(中川の合流地点まで)の桜鑑賞ウォーク
                  2009年04月10日にウォーキングしています

                       2009年4月10日(金)
                           コース
  南栗橋駅⇒広島落川の桜並木⇒中里橋(中川合流地点)⇒高須賀大杉神社⇒東武日光線橋⇒
      行幸橋(4号線)⇒行幸水門橋⇒中川改修記念碑 案内板⇒外野橋⇒
             権現堂 さくら堤 散策、菜の花畑、桜堤出入口(4号線側)⇒日光街道⇒幸手駅

  *****南栗橋駅⇒広島落川の桜並木(いこい橋⇒豊田橋⇒さくら橋⇒中里橋 高須賀大杉神社)*****
                    写真@からDはクリックすると拡大します
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                      写真@いこい橋(広島落に架かる橋)
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                      写真Aいこい橋(広島落に架かる橋)
        @A駅から約600mで広島落(大排水路)に出る。この橋から下流方向の中川の合流地点へ
                   +++++いこい橋〜豊田橋〜中里橋(中川合流地点)+++++
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                          写真B豊田橋から上流を見る
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                         写真Cさくら橋を下流から見る
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                  写真D広島落の中川合流地点 高須賀大杉神社付近から
                 写真は中川上流の眺望だが、広島落川は右側から流れ込んでいる
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                           写真E高須賀大杉神社
          高須賀大杉神社は茨城の旧阿波村にある大杉神社の分霊を祭ったもので、
          水神様で船持や船頭衆から信仰が厚かった。

 *****大杉神社⇒東武日光線橋⇒行幸橋(4号線)⇒行幸水門橋⇒中川改修記念碑 案内板⇒外野橋*****
                       写真ABはクリックすると拡大します
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                      写真@東武日光線橋梁と中川  下流から
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                  写真A行幸橋 中川に架かる橋(国道4号線)) 下流から
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                      写真B行幸湖の眺望 水門橋から
                    1928年(昭和3年) 旧権現堂川が廃川となる
     正式名称は権現堂調整池。調整池であると同時に、利根川水系一級河川権現堂川でもある。
     延長5.18km、面積0.57km2、有効貯水量は370万m3。利根川と接続する北端には川妻給排水機場が、
     中川と接続する南端には行幸給排水機場(みゆき水門)がある。
     埼玉県が管理する多目的調整池で、中川の洪水抑制と工業用および水道水の取水に利用されている
                                             BIGLOBE百科事典より
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                       写真C中川改修記念碑 案内板(注−1)
                    記事のページ末に案内板の内容が記してあります
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                       写真D中川と行幸水門 外野橋親柱から                                           

     *****外野橋⇒権現堂さくら堤、菜の花畑、峠の茶屋付近、
               防水記念碑、おもいで広場、桜堤出入口(4号線側)⇒日光街道⇒幸手駅*****
                    写真@からGJからMクリックすると拡大します
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                   写真@行幸水門と行幸給排水機場 外野橋から
調節池へ流入させるための横越流堰が併設されている。この付近の中川は権現堂川の旧流路を改修したもの。
つまり、旧権現堂川の上流部は行幸湖、下流部は中川となっている。
現在の中川の右岸堤防は、旧権現堂川の右岸堤防であり、今でも権現堂堤と呼ばれている。
       関東地方の川から引用 アドレス http://www.geocities.jp/fukadasoft/rivers/index.html   
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                   写真A権現堂桜堤と菜の花畑の眺望   外野橋から
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                     写真B外野橋を見る 中川左岸下流から
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                  写真C整備された遊歩道 権現堂さくら堤と菜の花畑
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              写真D行幸水門・外野橋方面方面の眺望・Cの位置、遊歩道から
 
                   +++++さくら堤 峠の茶屋付近 防水記念碑 付近+++++
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                          写真E地面まで花びらが!!
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                               写真F
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                               写真G
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                      写真H名勝指定 行幸堤・権現堂堤 
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                             I防水記念碑
HI権現堂桜堤は昭和初期に廃川となった権現堂川の堤でした。江戸時代にはこの堤防が切れると
江戸まで洪水が及ぶといわれていました。堤の工事が進むようにと自ら川に身を投げて、水を静めたという。
母娘巡礼の姿を刻んだ供養の碑が建っています。大正年間に桜が植えられ、戦後、伐採されましたが、
昭和24年に再び植栽されて、現在の華やかな姿に育ちました。昭和58年に市指定文化財(名勝)になっています
                                                      幸手市教育委員会
               そよ風に花びらは舞う巡礼の碑かこむ堤の桜   郷子

                    +++++おもいで広場 桜堤出入口(4号線側)+++++
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                               写真J
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                               写真K
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                               写真L
       JKLおもいで広場付近の桜堤  さくら吹雪が舞い!! ご覧お通り地面にまで花びらが!!
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                       写真M桜堤出入口(4号線側)付近
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                       写真N権現堂桜堤の出口(4号線側)
            権現堂桜鑑賞もここで終り、日光街道筋の歴史を感じながら幸手駅へ向かう
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                             写真O聖福寺
寺号を菩提山東皐院聖福寺と称す浄土宗の寺で、本尊は阿弥陀如来で観音様は運慶作と伝えられている。
徳川3代将軍家光が日光社参の時、御殿所(将軍の休憩所)として使用したのを始めとして
天皇の例幣使や歴代将軍が18回に渡り休憩した。
将軍の間、例幣使の間、菊の紋章が入った勅使門(唐門)があり、左甚五郎作といわれる彫刻も保存されている。   又、ご朱印状により十石を賜った事が判る。                                幸手市
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                 写真P幸手宿本陣跡(知久家跡) 現在は「義語家 うなぎや」
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                          写真Q街道筋を歩き 幸手駅へ
     幸手は、日光街道と日光御成街道が合流し、さらに筑波道が分岐する地点の宿場町。
     現在の通りは両側に広い歩道が整備された商店街となっていますが、その敷地・建物は小さな間口で
     奥行きのある宿場町特有の短冊形地割を継承しています。

                    今日の桜鑑賞は満足のウォーキングでした。
      万歩計は通常歩行 19320歩 しっかり歩行 7705歩 消費i 510`i 歩行距離14`

                    中川改修記念碑の中川「案内板」より
                          中川ってどんな川・・・?
羽生市の葛西用水路左岸に起点があり、埼玉県東部の水田地帯を流れ、都内に入って中川と新中川に
分流して東京湾に注ぐ。総延長 81`、この川は山岳部からの源流が無く、低平地約98,7キロ
(埼玉県面積の2.6l)の雨水と生活や水田の排水を34の支派川を集めて流れている珍しい川です。
                    「源流の無い川」ってどうしてできたのか
江戸時代に、それまで東京湾に向かって乱流していた、利根川、渡良瀬川の流路を東に変え、
常陸川筋を利用して河口を銚子に移したこと。また利根川に合流していた荒川を入間川、隅田川筋を利用して、
西に移した事によって、古利根川、元荒川、庄内古川などの山からの源流の無い川が生まれた。
更に幕府は、米を増産するために、水害の減った、この低平湿地、沼地の水田開発を広く進め、
旧川を排水路や用水路として利用した。現在の中川水系の水田地帯は、こうして出来た。しかし
一河川の水系としては、未整備であった。
                     中川の名称はどうしてついたの?
昔は、川の呼び名も 上下流で違っていた。中川は古利根川の下流部の呼び名で、
現在の都内の地域は、武州葛飾郡葛西領と呼ばれ、川を境にして東西葛西領に分かれていた為、
中間を流れる川・・中川・・と呼んだ説や隅田川と江戸川の間を流れているからなどの説がある。
それをこの川の名称にした。
                現在の「中川」として整備されたのはいつごろ・・・?
当時この地域は、古利根川筋(隼人堀、元荒川が合流)と島川、庄内古川筋(江戸川に合流)に分かれていた。
しかし低平地の排水を改善するには、東京湾へ低い水位で流下させる必要があるため、
島川や庄内古川を最低地部に流れる古利根川に繋ぐことが最善策として計画され、
大正5年(1916)から昭和4年(1929)にかけて内務省(国)の直轄事業として、利根川、江戸川や
荒川の改修とあわせて実施された。又、昭和22年(1947)カスリーン台風の大洪水の後、
24年から37年にかけて東京都によって放水路として新中川が開削され現在の姿になる。
               
                 今年の開花情報は下記HPで!!
         幸手市観光協会  http://www.satte-k.com/event/sakura/index.html

                       小生のブログ 関連
幸手権現堂 水仙祭り鑑賞と中川の歴史探訪ウォーク http://68535631.at.webry.info/201001/article_4.html 


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