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zoom RSS スカイツリーと墨田区名所旧跡歴史探訪 堀切駅から両国駅へ

<<   作成日時 : 2010/06/27 18:55   >>

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                        1910年06月17日(木)
                          コース概略
東武伊勢崎線堀切駅⇒多聞寺⇒墨堤通り⇒木母寺⇒隅田川神社⇒(旧墨提通り)⇒(地蔵坂通り)⇒
      (曳舟川通り)⇒業平橋⇒大横川親水公園⇒北斎通り⇒野見宿神社⇒(両国)⇒
                               両国公園⇒吉良邸跡⇒回向院⇒安田庭園⇒JR両国駅
    *****堀切駅〜鐘紡記念庭園〜多聞寺〜墨堤通り〜
            梅若公園内(榎本武揚像・梅若塚の碑)〜木母寺〜隅田川神社〜白髭橋*****
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                  写真@鐘ヶ淵紡績株式会社発祥の地(鐘紡記念庭園)
         明治22年(1889)、江戸時代に繁昌した越後屋・白木屋など呉服屋5店が出資した、
         西洋式の紡績会社が操業を開始しました。地名を取り、有限責任鐘淵紡績会社(略称:鐘紡)と
         名付けられ、近代的工場の先駆けといわれました。
         尚、発祥の地 説明板(墨田5-16-1)は墨堤通りにある              説明版より
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                            写真A多聞寺 山門 
       山門は「木造萱葺切妻造」で同寺に残存する唯一の江戸時代の建築物(墨田区指定文化財)
       享保2年(1717年)に焼失、現在の山門は再建されたもので建立年代は18世紀中葉頃と思われます
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                             写真B多門寺 本堂
    墨田川七福神のひとつ毘沙門天を祀る。境内には狸塚・映画人の墓や東京空襲時の焼失鉄骨がある。
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                     写真C東京大空襲で被災した鉄骨 クリック拡大
      1945(昭和20年)3月10日未明アメリカ軍B29爆撃機を受け下町は壊滅状態に陥り、
       風船爆弾の工場となっていた浅草国際劇場も直撃弾を受けた。  案内板抜粋
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                          写真D榎本武揚像(梅若公園内)
     榎本武揚は幕末から明治にかけて活躍し、晩年は向島で過ごしました。本銅像は大正2年5月建立
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                          写真E梅若塚の碑(梅若公園内)
         以前に梅若塚があったところ。団地の第9号棟の東面梅若公園内にあり、石標が立っています

        +++++梅若公園(墨堤通り)〜東白髭公園内(木母寺・隅田川神社)〜白髭橋+++++
                              木母寺
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                       写真F木母寺(梅若念仏堂)側面から撮影
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                               写真G念仏堂
            FG山号を梅柳山といい、天台宗に属する墨東第一の名刹。
            開山は忠円阿闍梨により平安中期の貞元元年(976)に開山。
   ここは何といっても「謡曲隅田川」等でお馴染みの梅若伝説。平安中期、吉田少将惟房の子、梅若丸が
 人買いの信夫藤太にかどされ、隅田川のほとりで十二歳で世を去る。そこへ来合わせた天台宗の高僧忠円が
 追福を祈って築いたのが伝えられる。母は後を追って京から武蔵野の国に着たが、息子の死を知り、
 悲しみのあまり、隅田川のほとりの池に入水したと云う。梅若忌は4月15日に行われます
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                               写真H梅若塚
   歌舞伎・謡曲・浄瑠璃の「隅田川」にも登場する文化的旧跡。貞元元年(976)梅若丸が亡くなった場所に、
   僧の忠円阿闍梨が墓石(塚)を築き、柳の木を植えて供養した塚です
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                      写真I梅若塚の沿革 案内板 クリック拡大
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                              写真J隅田川神社
     水神社、浮島神社とも呼ばれ、昔から隅田川総鎮守。本殿、拝殿とも幕末の建築である。
 以前は樹木が繁茂し「水神の森」とも称され、隅田川の増水にあっても沈むことがなく「浮島」の名もありました。
 また水の神様らしく境内には石亀や「船の錨」など、水や川、舟に関するものが祀ってあります
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                         写真K白髭橋 隅田川左岸橋詰より
         橋の由来は白髭神社に由来します。初代の橋は土地の人々が創設した有料橋でした。
   現在の橋は昭和6年に震災復興事業で架けられた橋。右岸(写真正面右)に石浜神社(都鳥の歌碑)がある

       *****白髭橋〜(旧墨堤の道)〜(地蔵坂通)〜(曳舟川通り)〜東武業平橋駅前*****
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                         写真@旧墨提の道(白髭神社付近)
         白髭神社付近から見る旧墨堤の道 この先約150b先に墨堤通り角に「子育地蔵」があり、
         地蔵坂通りの入口になる。微かにスカイツリーが見える
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                            写真A旧墨提の道 案内板
隅田川の自然堤防沿いに桜の木を植えられたのは寛文年間(1661〜73)徳川将軍家の休息所であった
隅田川御殿(現東白髭公園辺り)から白髭神社の北側まででした。神社脇から地蔵堂へ続く湾曲した道は、
今は姿を消してしまった、旧堤の名残です。
関東大震災や東京大空襲などの復興事業で墨堤通りは湾曲した道から舗装された直線道路へと整備されました。
現在、旧墨堤の面影を見られるのは、此処と「墨提植桜の碑」(長命寺付近)近くの湾曲部の2ヶ所だけです。
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                          写真B地蔵坂通り(水戸街道側)
墨堤通り角に「子育地蔵」が祭ってあり、200年の由来があり、今でも子供の成長を願う人々の信仰を集めています
  縁日には(毎月4の日)地蔵坂商店街は、賑わっているようです。写真は水戸街道側から撮影しています
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                              写真C曳舟川通り
     東向島2・京島1交差点付近(文化センター)から南方向を見る。信号右奥に曳舟駅。
曳船川は、江戸幕府が明暦3年(1657)の大火の後、開発に着手した本所・深川方面の新市街地へ、
飲料水を供給するために開削された水路。水源は瓦曽根溜井(越谷市)です。
現在では用水の役割を終え、足立区内では東京葛西用水親水公園・葛飾区内は曳舟川親水公園として姿を変え、そして荒川から南の墨田区では水路(古上水路)は埋め立てられて曳舟川通りになっている。
当地域は灌漑用水や舟運に利用されて、川沿いに明治から昭和初期以降、急速に都市化してきました。
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                               写真D小梅堤
           押上付近から見た曳舟川(広重の絵)、江戸名所百系から 安政3年(1856)
                     市街地再開発事業インフォメーションより
           曳舟川由来の碑・・・・・東武業平橋駅前に設置されているが、現在工事中の為、
                         残念なことに見ることが出来ません。

              +++++東武橋〜京成橋〜西十間橋 往復〜業平橋+++++ 
          スカイツリー   現在の高さ398b 完成2012年3月(予定) 高さ634b
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                               写真E東武橋から
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                   写真F北十間川とツリー(京成橋方向) 東武橋から
          EF東武橋は北十間川に架かる橋で、言問通り、曳舟川通りに繋がっています
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                              写真G京成橋から
           見える電車は東武伊勢崎線で左方向に東武業平橋駅があります。また
            京成橋付近では地下に都営浅草線押上駅・京成押上駅があります
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                              写真H西十間橋から
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                              写真I西十間橋から
 HI西十間橋からスカイツリーと逆さツリー。小生のデジカメでは全体撮影は無理、残念ながら分割となりました
                          +++++北十間川++++
   タワーの脚元を流れる北十間川は総延長3.24km、江戸時代、明暦の大火後の本所開発の一環として 
   開削された運河で、西に隅田川、東に旧中川と接続する。
   横十間川との合流点より西は墨田区内を通り、東は墨田区と江東区の区界となっている。
                                                   ウィキペディアより引用

    *****業平橋〜大横川親水公園「平川橋〜横川橋(春日通り)〜紅葉橋(法恩寺)〜
                               法恩寺橋(蔵前橋通り)〜長崎橋〜北斎通り*****
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                   写真@業平橋(船上は大横川親水公園管理事務所)
           「業平橋」大横川親水公園に架かる橋で浅草通りが通っています。
         「業平」と云う地名は、有名な平安歌人・在平業平に因んだ杜があったことに由来、
    橋は寛文2年(1662)本所開発で出来た大横川に架橋され、大横川はこの橋を起点に南方向へ流れ
    小名木川と交差して木場公園近くで仙台堀川に合流しています。       
          現在、大横川は「業平橋」から船を模した施設あり、緑と清流の親水公園に変貌、
          錦糸町までの快適な散策コースになっています。又
          東武「業平橋駅」は昭和6年、東武線が現浅草駅に延びるまで始発駅であった。
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                                  写真A
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                                  写真B
                   AB業平橋から紅葉橋間の大横川親水公園

                 +++++折角なので紅葉橋から法恩寺参観する+++++
                              法恩寺参観
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                                寄道-1法恩寺
       江戸城を築いた大田道灌が平河町に建立し、江戸城拡張の為、元禄元年本所に移された。
          境内には大田道灌の「やまぶきの逸話」の記念碑と共に、道灌の墓所がある
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                              寄道-2道灌の記念碑
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                            寄道-3法恩寺参道とスカイツリー
                 法恩寺参観後、再び親水公園へ 長崎橋から北斎通りへ                 
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                           写真C法恩寺橋とスカイツリー
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                         写真D北斎通り「北斎ギャラリー」
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                            写真E街路灯の浮世絵
  DE江戸後期の浮世絵師の巨匠、また日本風景版画の創始者とされる絵師葛飾北斎は宝暦10年(1760)
  本所割下水(亀沢1〜4丁目)に生まれる。この地が下総国葛飾領であったことから葛飾北斎と名のり
  「富嶽三十六景」などは彼の名を不朽のものとしました。
  その偉業を記念し「北斎通り」として、約1Km道両側の街路灯、公衆トイレ等に北斎作品の103枚を掲示。

                        割下水とは
  江戸時代隅田川の東地区の開拓にあたった時、低地の埋立と排水工事で、道の中央を開削し掘割で
  両側は道にしました。これが割下水と呼ばれて居ました。墨田区を東西に走っている掘割が二本あり。
  両割下水とも埋め立てられて、南割下水は葛飾北斎が生まれた所なので「北斎通り」として、
  北割下水は「春日通り」となっています。        下記HP引用
      http://www.gesui.metro.tokyo.jp/kanko/newst/215/n215_4.htm  東京都下水道局

  *****北斎通り〜両国公園(勝海舟生誕の地碑)〜吉良邸跡〜回向院〜旧安田庭園〜JR両国駅*****
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                          写真@勝海舟生誕の地(両国公園内)
      江戸城無血開城、咸臨丸による米国訪問で著名な維新英傑、勝海舟が父方の実家男谷家で誕生
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                           写真A吉良邸跡(本所松坂町公園)             
            元禄15年(1702)12月赤穂浪士の討ち入りがあった吉良家屋敷跡。
    当事の約86分の1の小公園にありますが園内の「吉良首洗いの井戸」が往時を偲ばせます
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                             写真B吉良首洗いの井戸
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                            写真C説明版 クリック拡大
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                                写真D回向院
              明暦3年(1657)の大火(振袖火事)で10万8千余人をと弔うために建立された
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                        写真E回向院 説明版 クリック拡大
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                           写真F旧国技館跡(昭和10年代)
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                        写真G旧国技館跡 説明版 クリック拡大
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                           写真H旧安田庭園とスカイツリー
   常陸国笠間藩主により元禄年間(1688〜1703)に築造された、隅田川の水を導いた汐入回遊式庭園で、
   明治維新後は、旧備前岡山藩主邸となり、次いで安田善次郎氏の所有となりました。
   大正11年東京市に寄附、後に墨田区に移管され、全面的改修を行い、復元、開園しています

              今日のウォーキングは無事に終わりました。
      近くで見るスカイツリーは、見事で感動しました。成長していくのが楽しみです。
              ご一緒の「歩きの仲間達」有難うございました。

                          万歩計は
   通常歩行 23536歩 いきいき歩行 17854歩 距離約13` 消費i約417`i 脂肪燃焼54c

                  作成に当たり下記HP参考にしました。
           木母寺     http://www.mokuboji.jp/ 
           墨田区観光協会 http://www.visit-sumida.jp/tabid/62/catid/1/Default.aspx 
           墨田区文化観光協会 http://visit-sumida.jp/ 





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