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zoom RSS 宮代歴史ウォーキング 鎌倉街道とメイドイン宮代(和戸地区)探訪

<<   作成日時 : 2010/11/15 19:26   >>

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宮代町には鎌倉から川口、岩槻を経て、古河へ向かう鎌倉中道が通っていました。
宮代町に伝わる鎌倉街道にも、静御前の伝説や徳川家康の伝説があります。
この他、須加や東粂原の社寺等の文化財の説明やメイドイン「みやしろ」の「せんべい」や「茶マン」も試食し、
「宮代町をより知る」ウォーキング    主催  宮代町郷土資料館  共催 宮代町産業建設課・産業政策担当

                          2010年10月16日(土) 
                             コース概略
   和戸駅〜長福寺〜真蔵寺〜(鎌倉街道)〜大聖院・久米原学校跡〜鷲宮神社〜地蔵堂〜宝光寺
 矢部造酒乃丞寿蔵碑〜須加小(カヤ、楓の木)〜川野せんべい〜旧和戸駅〜和戸公民館(須加村役場跡)〜
    和戸キリスト教会〜文殊院跡〜文殊院橋〜八宝堂〜伊勢崎線鉄橋(備前前堀川) 橋台〜和戸駅

 *****和戸駅〜長福寺〜真蔵寺〜(鎌倉街道)〜大聖院・久米原学校跡〜鷲宮神社〜地蔵堂〜宝光寺*****
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                       写真@東武伊勢崎線 和戸駅 集合解散駅
          北千住・久喜駅間の開業は明治32年(1899)8月、和戸駅の開設は4ヶ月遅れの12月,
   新田,蒲生,武里と同時期になりました。当事の和戸駅は久喜よりの御成街道と線路が交錯する辺りでした。
                現在の駅は大正8年(1919)に駅舎と,道路も造られています。
                        旧和戸駅はマップ−C 参照
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                        写真A受付状況 和戸駅にて

                    +++++長福寺 真蔵院 鷲宮神社付近マップ +++++
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                         写真B長福寺 真蔵院マップ-@
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                      写真C真蔵院 鷲宮神社付近マップ−A
      この付近に鎌倉街道説が2つありました。上の図@と長福寺へ通じる道、説があります。
        鎌倉幕府へ通ずる道。「いざ、鎌倉へ」と武士たちは非常時に鎌倉に向かった道。
     江戸時代以前からの古道を示すとも言われる鎌倉街道。県内には概ね5つの道筋があった事が知られ、
               「上道」「中道」「秩父道」の3つの幹線路があったといわれている。
          宮代町内を通る鎌倉街道は、「中道」などと呼ばれ、東北方面から古河を経て、
    幸手、下高野、須加、久米原、高岩(白岡町)、岩槻、鳩ヶ谷、川口から武蔵野府中を経て鎌倉にいたった。
     「中道」は、後の日光御成街道と同じ道筋になります。上の地図に示した道が鎌倉街道だったようです。
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                              写真D鎌倉街道 説A
               真蔵院から延びる道、東武伊勢崎線で現在は行き止る。
         写真前方の真北に古利根川があり万願寺橋の袂には「高野の渡し」案内板がある
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                               写真E長福寺
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                          F長福寺西側の鎌倉街道 説@
 EF曹洞宗の寺、以前の本堂は明和元年(1764)の創建と伝わり、平成4年に現在の本堂が建てられました。
       須加は鎌倉街道の集落地として、当事の西側の通りは奥州へ向かう鎌倉街道として伝えられる。
     現在の道は東武伊勢崎線で行き止る。又、北側の通りは須加宿から鎌倉街道へ至る道でもあった。
  また現在の古利根川は,中世の高野川と称し,当事武蔵野国から下総国への渡河として交通の要所でもあった。
            尚、現在の万願寺橋のやや上流に、高野の渡しがあったと伝わっています。
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                             写真G長福寺 まちしるべ
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                             写真H真蔵院 山門
 真蔵院は、新義真言宗のお寺。医王山大福寺と称し、本尊は不動明王。創建は鎌倉時代末期(1326〜1329)
             この寺には、江戸時代前期に作られた、県内でも古い様式の円空仏があります
               門前には鎌倉街道中道と呼ばれる奥州(東北)への本道が通っていた。
  延文6年(1361)の文書「市場乃祭文」には須加の地名も記され、真蔵院門前で市が開かれたとも考えられる
                                                           案内板抜粋
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                         写真Iまちしるべ 真蔵院 鎌倉街道 
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                               写真J円空仏
                江戸時代前期、杉材を用いて造られた円空仏は、高さ46aを測る如来像
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                          写真Kクランク道 マップ−A参照
          枡形と呼ばれるクランク状の道が. 今でも残っている。このクランク状に曲がった道は、
   枡形道と言われ、街道をクランク状に曲げ、見通しが利かないようにして防備を図るもので、城下町に多い。
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                        写真L大聖院・久米原学校跡
       新義真言宗のお寺、本尊は不動明王。安永年間(1772〜1781)ごろから知られます。
      明治6年に東粂原、西粂原、須加、国納の一部を学区とする久米原学校が置かれました。
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                           写真M東粂原鷲宮神社 参道
       東粂原の鎮守です。当地は「宿屋敷」と呼ばれ、鎌倉古道の伝承が残っています。
    「市場乃祭文」に見られる「武州太田庄久米原市」は鎌倉街道に面している東粂原の鷲宮神社の門前に
                 開かれたのではないかと推測される。
           祭神は天穂日命と祀る。延亨2年(1745)ごろの起源とされる、
        町指定の無形民俗文化財の獅子舞が伝わり毎年7が16日近くの日曜日に奉納されます。
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                                写真N地蔵堂
                本尊は郷地蔵といい、子育ての地蔵と称されています。縁日は7月24日
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                           写真O発掘箇所 マップーA参照
           宮代町の鎌倉街道では発掘調査が2回行われています。いづれも東粂原字宿屋敷。
          平成14年の調査では、伝承鎌倉街道沿いから、溝状の道路状遺構が検出されました。
           平成17年の調査では、厚さ30aにわたり造成した道路状遺稿が発見されました。
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                                写真P宝光寺
    宗洞宗の寺で、慈眼山と称し、本尊に地蔵菩薩を祀る。天文元年(1532)に創立といわれます
 須加村役場は明治22年(1889)和戸、須加、東粂原、西粂原、国納の5ヶ村が合併した際に当寺に置かれた。
    又、歴代の往時の中の円宅と云う人に関係する筆子塔があり、寺子屋を開いていた事がわかります
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                          写真Q宝光寺付近マップーB

  *****矢部造酒之丞碑〜須加小(カヤ、楓の木)〜番屋橋〜川野せんべい〜旧和戸駅(東武線踏切傍)〜
        和戸公民館(須加村役場跡)〜和戸キリスト教会〜八宝堂〜伊勢崎線橋梁 橋台〜和戸駅*****
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                 写真@矢部造酒之丞寿蔵碑(やべみきのじょうじゅぞうぞう)
    江戸時代の終りごろから明治初期にかけて、村の寺子屋や塾がつくられ庶民の教育の場となった。
    この石碑は明治初年に漢学塾である「寧倹義塾(ねいけんぎじゅく)」を創設した矢部造酒之丞の
     事情を記したものです。矢部造酒之丞は当地で生まれ1923年(大正10年)72歳で没しました
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               写真A川野せんべい店(メイドイン宮代 推奨品店) マップ−4 参照 
           丸粒焼きせんべい・丸粒うす焼・わらべなどバラエティ豊かなおせんべいが沢山ある
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                         写真B和戸公民館(旧須加村役場跡)
  須加村役場場明治22年(1889)宝光寺にあり、明治44年一時、現在の須加小中学校の近くに庁舎を置いたが
                大正3年(1914)現在の和戸公民館の場所に新築移転しました。
    昭和30年7月、須加村・百間村が合併し宮代町に誕生し、その後は須加支所として使用されていましたが、
                    役場庁舎新築で36年須加支所は廃止になる。
 現在の和戸公民館は昭和41年建設され、昭和54年に2階建てに改築、更に平成13年耐震補強改修工事をした。
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                         写真C和戸公民館付近マップーC
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                          写真D日本キリスト教団 和戸教会
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                               写真E礼拝堂
        DE教会は、1878年(明治11年)に創設されました、埼玉県内で最初のキリスト教会です。
             最初の教会堂は1883年(明治15年)に建てられ、2度目は1955年でした。
                  そして2000年10月に3度目の会堂が建てられました。
             新教会堂、ヨーロッパ小台のバシリカ式と呼ばれ八角形の建築様式を基本にして、
                      11本の柱をアーチ状に梁にした木造の会堂です
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                   写真F八宝堂(メイドイン宮代 推奨品店) マップ−C参照
                茶マンといえば、八宝堂。花もくれん、宝もなかも好評です
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                写真G東武伊勢崎線橋梁 橋台(煉瓦造り) 右岸上流から
      東武線橋梁 橋台(備前堀川に架かる橋梁)、明治31年(1898)に東武鉄道の工事が始まったとき、
            河川や用水に架けられた鉄道橋や橋台の橋脚には煉瓦が多く使われました。
        宮代町域に煉瓦橋台が全部で5ヶ所有り、現在でも当事の煉瓦造りを見ることができます。

             歴史ウォークは、此処で終了しました。和戸駅まで戻って解散です。
               長く住み着いているが、知っているようで知らないことばかり、
          今回みやしろ歴史ウォーク案内くださった郷土資料館の担当の方、有難うございました

                         下記参考に作成しました
                      参加者に配布された資料及び下記HP
        宮代町郷土資料館HP http://www.town.miyashiro.saitama.jp/WWW/wwwpr.nsf/siryoukan 











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